yshkn’s blog

島根に長期出張中の文系卒ITエンジニアの日常

翻訳型勉強法と疑似ネイティブ型勉強法

カフェで隣の席の看護?学生の話が聞こえていた。
教科書?の文章を暗記すべく、一人が一部を読み上げもう一人が続きを答えている。
聞いた感じでは専門用語の羅列、まるでお経のようにただただ文章をそのまま空で読み上げられるようにしているだけのようだ。
学生としては非常によくある風景であり、僕ももちろん通った道だ。
だめとかいいとかいう話ではない。


ただ聞いていて違和感を覚えた。
おそらく医療系の話題だから扱っている物自体はなじみ深い内容なのにそれが意味する内容を意識されていないような、文字の羅列のように聞こえたからではないか。

 

僕のこれまでのやり方としてはそういうのは否定し、自分のなじみ深い言葉に置き換えて中身の想像を働かせた方が記憶が定着しやすいので良いというやり方だ。

 

一方で知識をつける(暗記する)のは会話等早い返しが必要な場合に非常に効くので重要だという考えも結構前から持つようになった。
しかも、最近読んだ勉強の哲学の言葉を大事にして今までと異なる世界に深く潜り込むということにもそのまま暗記する方が効果的かもしれない気もする。
ただ、言葉に、特にその違いに注目するというのはそのまま暗記するということを意味するとも思わない。

 

二つのやり方の違いは、日本の従来の英語教育と、それを批判する人の対案の一つとの対比に似ている。
日本語で言うと何と言うのか、日本語のこれは英語では何というのかその翻訳力とでも表現できそうな能力を磨くことに注力する従来の英語教育法。
それでは速度が求められる会話力の向上に効率が悪いし、ネイティブのもつ細やかな語感も身につかずいつまでも自然な英語が使えるようにならない。
そうではなく赤ちゃんが一から覚えるようにただひたすらに英語漬けにして、すべてを英語で考え使用するようになる方が、マスターには早いのだという方法。

 

元の医療系の勉強の話に戻ると、後者の方法を突き詰めた場合、医療の専門用語しか話せない専門バカ・・・にはさすがにならないだろうが、普段の生活と医療関係の文脈で言葉が全く異なり、医療の話を非専門の人にわかりやすく説明するのは不得手になるだろう。
逆に前者を突き詰めると、これはそんなに単純ではないだろうが、前者の人に比べると専門性では劣る傾向にあるのではないだろうか。
一長一短というところか。
ただ、勉強の哲学の記事でも書いたが、イノベーションのほとんどは、別の世界のものを流用することによって生まれている。その点では翻訳型、従来の英語教育型のほうが有利だと思われる。
また、ある程度のところまでの能力を手に入れる、英語で言うとある程度読めるまでにすることにおいても翻訳型ですでに持っている日本語の知識を使ったほうが効率的だというのが大方の見方だろう。

 

僕の人生設計としてはすでに一つの専門分野でトップになるのはあきらめている。ジェネラリスト的にこれとこれとこれをある程度すべてできる人はあまりいない、というようにいくつかのスキルを掛け合わせてそれなりのニーズを持つ人になりたいという戦略だ。
それを考えるとやはり僕は翻訳型でいいんだと思う。
しかし誰もが翻訳型がいいわけではない。
この分野でトップランナーになることだけを目指しているという情熱を持った人は疑似ネイティブ型勉強法のほうが適しているのだろう。